今回は、以前亡くなった父のことを思う母のことを書いてみました。

父を失って二年七か月
父が亡くなって、二年と七か月が過ぎた。
母にとって父は、六十一年間ものあいだ隣にいた存在だった。
出会ってからの日々を数えれば、ほとんどの人生を共に過ごしてきた人であり、まさに「誰よりも長く一緒にいた人」だった。
その人を失った母の胸の内を、私は完全には理解できない。
けれど、母の姿をそばで見つめていると、何気ないしぐさや沈黙の時間から、その深い寂しさが伝わってくることがある。
声に出さなくても、母の心にあいた穴はまだ塞がらず、静かにそこに在り続けているのだと思う。

「一人を楽しみなさい」と言われても
母は周囲の人からこう言われるそうだ。
「一人を楽しみなさい」
「寂しがらずに、これからは自分の時間を力強く生きていくのよ」
その言葉は、きっと母を励まそうとする優しさから生まれたものなのだろう。
けれど、母にとっては少し違和感を伴うものでもある。
なぜなら、母は完全に「ひとり」ではないからだ。
今は私と同じ屋根の下で暮らし、会話があり、困れば私が手を差し伸べることもできる。
だから、母は時折こんなふうに言う。
「私は本当の意味での孤独を知っているのかしら」
娘と暮らしている安心感はある。
けれど、父がいないという現実は決して埋められない。
隣にいるはずの人がいない、その静けさだけは変わらない。
母はその矛盾の中で揺れているのだと思う。

「一人でできるようにならなければ」という決意
母は時折、自分に言い聞かせるようにこうつぶやく。
「これからは、一人でできることを増やしていかなければならないのよね」
その言葉には決意と同時に、不安や迷いもにじんでいる。
父と一緒にいた六十一年の間に、母は数えきれないほどのことを父に委ねてきただろう。
日常の小さなことも、人生の大きな選択も、二人で共有してきた。
だからこそ今、目の前の小さな選択すら「自分ひとりで決めなければならない」と気づくたびに、寂しさと責任感が押し寄せるのだと思う。
けれど、その思いは母を前に進ませてもいる。
「自分の力で歩いていく」
その覚悟が、少しずつ母の行動を変え始めていた。
初めての一人映画館
そんな母が、先日、初めて一人で映画館に行った。
上映されていたのは国宝という作品、私が四国に行く前から、見に行きたいといっていた。
四国から帰ってきたら一緒にいくよ!と伝えていた。
でも、母は、何でも頼っていてはいけない、と思ったらしく、私が四国に出かけていた時に、「この機会に、頑張ってみる」と自分を奮い立たせて出かけたのだという。
チケットを買うだけでも不安だったし、買うのにも、窓口でどう言えばいいのか、座席の指定はどうしたらいいのか。
小さなことでも「一人で」というのは心細いものだ。
それでも母は勇気を振り絞って、映画館の椅子に腰掛けた。
暗闇の中でスクリーンに光が差すと、ほんの少し誇らしげな気持ちになったのではないかと、私は想像する。

思い出す祖母との時間
映画を観た帰り道、母はふと昔の記憶を思い出したという。
母自身の母・・・・・私にとっての祖母が、母を子どもの頃、よく歌舞伎に連れて行ってくれたことを。
劇場のざわめきや、舞台に立つ役者の息遣い。母と並んで座ったあの日の感覚。映画館の暗闇と舞台の記憶が重なり合い、懐かしい情景が心によみがえったのだそうだ。
母はその話をしながら、少し笑顔を見せた。
「お母さんとの、忘れていたはずの思い出が戻ってきて、嬉しかったし、あったかい気持ちになったの」
その笑顔は、ここしばらく見なかった柔らかさを帯びていて、私の胸にもしみ込んできた。
父を思い出すことも、あたたかさに変わる
母はその体験から気づいたことを語ってくれた。
「父のことも、同じなのかもしれない。寂しいと思うだけじゃなくて、二人で過ごした時間を思い出してみれば、悲しみよりもあたたかさが残るんじゃないかしら」
父と過ごした日々。
旅行で見た景色や、日常の何気ないやりとり。
思い出のひとつひとつは、もう二度と同じ形では訪れない。
けれど、思い出すことでその温もりが胸に広がる。
母は少し前を向いた表情でそう言った。その姿に、私は深く安堵した。
母がただ悲しみの中に留まるのではなく、寂しさを抱きながらも新しい歩みを模索し始めていることを感じられたからだ。

寂しさと共に歩む力
寂しさは、簡単に消えるものではない。
六十一年という歳月を共にした人を失った喪失感は、時間がいくら流れても完全には消えないだろう。
むしろ寂しさは、これからも母と共に生きていくのかもしれない。
けれど、その隣にあたたかい思い出が寄り添えば、寂しさは少しずつ形を変える。
胸を締め付けるだけの感情ではなく、歩みを支える静かな力へと変わっていくのだと思う。
母の背中を見ていると、それが分かる。小さな一歩を積み重ねていくことが、悲しみをあたたかさに変えていく道なのだ。

静かに見守りながら
私はこれからも、母のそばにいる。
時に励まし、時にただ黙って寄り添いながら、母の歩みを見守っていきたい。
母が寂しさを抱きしめながら、それをあたたかさに変えて生きていく姿は、私にとっても大切な学びになる。
生きるということは、悲しみを消すのではなく、それを抱きながら新しい力を育んでいくことなのだと。
だから私は、母のこれからを静かに見つめ続けたい。
その歩みはゆっくりでも、確かに前へ進んでいるのだから。


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