久しぶりに、母と外食をした。
ずっと以前から母に「一緒にランチに行きたいの」と言われていた。
そのたびに私は「そのうちね」「落ち着いたらね」「試験が終わったら」と返してきた。
優先順位は申し訳ないけれど、いつも後ろに回っていた。
自分の用事に追われ、年末が来て、年始が来て、気づけば時間だけが過ぎていく。
さすがにもう行かないと、機嫌損ねちゃうなと思ったので、やっと日程を合わせて、一緒にランチのお店の扉をくぐった。
母は、とても嬉しそうで、「お友達にも今日娘とランチに行くって言ってきたんだ」と、言う。
そんなに楽しみにしていたなら、もっと早く日程を合わせなかった自分に後悔・・・
席について、メニューを決めて料理を待つ間も、母は落ち着かない様子で何度もメニューを見返していた。
「こっちにすればよかったかな」「これも美味しそうね」と、少し声が弾んでいる。
決して特別に高価な料理ではない。
それでも、母にとっては、娘と一緒に来たかった場所というだけで、十分に特別なのだと伝わってきた。

料理が運ばれてくると、母は一口食べて、少し目を細めた。「美味しいねぇ」と、誰に言うでもなく呟く。
その表情は、どこか安心したようでもあり、やっと願いが叶った人の顔でもあった。
私はその顔を見ながら、胸の奥がじんと熱くなった。
こんなふうに喜んでくれるなら、もっと一緒に過ごしてあげればいいのに、と素直に思う。(また後悔。後悔の連続)
でも同時に、簡単にはそうできない現実も浮かぶ。
私には私の生活があり、責任があり、日々の中で精一杯なのも事実だ。
その狭間で揺れる気持ちを、母はきっと何も言わずに受け止めてきたのだろう。
母は多くを語らない。
ただ、楽しそうに食べながら、ときどき父の話を混ぜる。
「パパがいたら、これ好きだったと思うわ」「こういうお店、連れてきたかったな」その言葉は明るい調子なのに、どこか余白があって、聞いているこちらが言葉を失う。
もうすぐ2月になる。父が亡くなった命日が近づく季節だ。
その頃になると、母は毎年、少し弱くなる。
普段は気丈で、冗談も言うのに、夜になると、用事で部屋を訪ねると、泣いていて、涙が止まらなくなる日がある。

時間が経てば癒えるわけではなく、むしろ思い出が静かに沈殿して、ふとした瞬間に溢れ出すのだと、母を見ているとわかる。
食事の途中、母は何気ないふりをして、私の顔を見た。「今日はありがとうね」その一言に、感謝だけではない、安心や、寂しさや、いろいろな感情が重なっている気がした。
きっと母は、また一つ思い出を増やしたのだと思う。そして同時に、父がいない現実を、静かに抱え直しているのかもしれない。
最近、ミセスグリーンアップルの「ダーリン」を聴いて、母が泣くことがある。
何も言わずに、ただ黙って聴いて、気づくと目元を押さえている。
きっと、父に対して、言葉にできなかった思い、守れなかった約束、伝えきれなかった気持ちが、あの歌と一緒に胸に押し寄せてくるのだと思う。
2月は、母にとって特別で、そして少しだけ苦しい月でもある。
その涙を止めることは、私にはできない。
ただ、そばにいること、一緒に時間を過ごすことだけはできる。
一緒にいられる時間は、無限ではない。
だからこそ、完璧じゃなくてもいいから、特別なことじゃなくてもいいから、少しずつ時間を重ねていきたい。
2月が来るたびに、母がひとりで涙を抱え込まなくてすむように。
そして私が、先日、嬉しそうにご飯を食べていた母の顔を、これから先も何度でも思い出せるように。


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