父の背中を追いかけて──娘として、今思うこと

日記

父がこの世を去ってから、しばらく時間がたちました。
日常は淡々と流れていくのに、ふとした瞬間に父の声や姿がよみがえります。
心の中にぽっかり空いた穴は、完全には埋まらないまま。でも、その穴からこぼれる思い出は、私をそっと支えてくれる宝物でもあります。
今日は、その中でも特に心に刻まれている「留学を応援してくれた父」のことを書きたいと思います。
読んでくださるかたにも、ご自身の「大切な人」を思い浮かべながら読んでもらえたら嬉しいです。

初めていったサンディエゴ

◆初めてのアメリカ留学を背中押ししてくれた父
高校生の頃の私は、「もっと広い世界を見てみたい」という漠然とした憧れを胸に抱えていました。
英語が特別得意だったわけでもない。むしろ不安のほうが大きかった私にとって、海外留学は夢であり、同時に怖さも隣り合わせでした。
ある日、夕食後の食卓で、おそるおそる切り出しました。
「パパ…私、学校から行かれるアメリカの短期留学に行ってみたい。」
父は箸を置き、ほんの一瞬だけ私の顔をじっと見つめました。
ああ、反対されるだろうなと思った私は、ドキドキして言葉を待ちました。
「行ってみたいの?やってみればいいよ。」
その言葉は、とてもあっさりしていました。
ちょっとびっくりしました。反対される前提でこっちも聴いていたので。
でも、あの一言には、娘を信じる強さと、挑戦させようとする優しさが込められていたと、今なら分かります。
その後も、パスポートの申請や準備のサポート、費用の工面…。
父は文句ひとつ言わず、むしろ楽しそうに手伝ってくれました。
「楽しんでおいで。失敗しても、それも経験だから。」
その言葉が、どれほど私の背中を押してくれたか。

◆大学時代、2度目の留学を願った私に
高校時代の留学は、私にとって大きな転機となりました。
価値観が広がり、「もっと学びたい、もっと挑戦したい」と思うようになったのです。
大学生になった私は、再び父にお願いをしました。
「パパ、またアメリカに留学したい。今度は前より少し長く行きたい。」
さすがに2度目だし、費用もかかるし、今回は難しいかもしれない…
そんな思いで父の反応を待っていました。
父は少し考えたあと、静かに言いました。
「本当に行きたいの?」
「うん。もっと見てみたいし、自分を試してみたい。」
すると父は、フッと笑ったような表情で言いました。
「いいじゃないか。若いうちにやりたいことはやっておきなさい。やらない後悔だけは残さないほうがいい。」
と応援してくれました。その瞬間、胸に込み上げてくるものを抑えられませんでした。
「でも、今度は準備も自分でしてみなさい。自分で掴んだほうが、見える景色が変わるから」と言われました。
私はアルバイトをし、旅費の一部を貯めました。不足分は「足りない分、ちょっとだけ」と父がそっと補ってくれました。
その“ちょっとだけ”が、父なりの愛だったと思います。

父は、派手なタイプではなく、決して大きなことを語る人ではありませんでした。
でも、いつも大切な場面では、私の挑戦を尊重してくれました。
「娘の可能性を奪わない」そんな愛情を、言葉と行動で示してくれました。

◆父が教えてくれた「信じて送り出す愛」
留学先で、嬉しいことや辛いことがあると、父に電話をしました。
返事はいつも短く、シンプル。
「頑張れ。」
「楽しんでるか?」
「元気ならいい。」
そして決まって最後にはこう。
「応援している。」
たくさんは語らないのに、その一言で救われる日が、何度もありました。
振り返ると、父は「見守る」という愛し方をしてくれていました。
強く手を引っ張りすぎず、かといって完全に放り出すこともなく。
ちょうどよい距離感で、私を信じて送り出してくれていたのです。

◆父が教えてくれたものを、今どう受け取って生きていくか
父がいない今、私はあの時の父の想いを噛みしめています。
「信じて応援すること」
「挑戦する機会を奪わないこと」
「背中を押して送り出す勇気」
もしかすると、これが愛情の一つの形なのだと思うのです。

だから私も子どもたちを信じて応援する、挑戦する機会を奪わないなど、知らず知らずのうちに、父と同じことをしていました。

あなたには、人生の節目で背中を押してくれた人はいますか?
その人の言葉や存在が、今のあなたにどんな力を与えているでしょうか?
そしてもし、今あなたの周りに、挑戦しようとしている誰かがいるのなら…。
ぜひ、その人の未来を信じ、そっと背中を押してあげてください。
父が私にしてくれたように。

◆最後に
父が亡くなって数日、私は思いました。
私は人生で何度も父に「行ってきなさい」と背中を押されて生きてきたのだ、と。
父が亡くなって、4日後の試験を受けに行くか悩みました。
でも、なんだか父が背中を押してくれている気がして行ってきました。
今ではその日のことはほとんど記憶がなく、ぼんやりと思い出すだけです。

留学、部活動、進路、就職、挑戦。
父はいつも、私を“送り出す側”でした。
けれど、気づけば今度は私が父を“見送る側”になっていました。
父を失ってから、私は「応援される娘」から「誰かを応援する人」になりたいと思うようになりました。
父がくれた“信じて見守る愛”を、今度は私が誰かに渡していきたい。
寂しくなる夜もあります。
でも、父との会話や笑顔を思い出すたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
まるで、遠く離れていても、そっと肩に手を置いてくれているような安心感があります。
迷ったとき、心の中で父に問いかけると、今も変わらない声が返ってくる気がするのです。
「行ってきなさい。やりなさい。大丈夫だよ」
その言葉は、私がこれからを生きていくためのお守りになっています。
父はもうこの世界にはいません。
けれど、父のまなざしも言葉も、あのあたたかな背中の押し方も、私の中で今も息づいています。
これからも私は、自分の足で前に進んでいきます。
その一歩一歩に、父が寄り添ってくれていると信じながら。
「やりたいことがあるなら、やってみなさい。」
その言葉は今も、私の心の中で生きています。
これからも、父が与えてくれた勇気を抱いて、前に進んでいこうと思います。

もしこの記事を読んで、ご自身の大切な人の存在を思い出したのなら、その気持ちをどうか大切にしてください。
そして、会える人にはぜひ、伝えてほしいのです。
自分の感謝の気持ちや、応援する気持ち、自分の気持ち・・・・
いつもなら気恥ずかしくて言いづらいかもしれませんが、いなくなってしまったら、言えないので。
そういう、私も大切な人に気持ちを伝えていきたいと思います。

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